お城の数はコンビニと同じくらいあった?
甲冑先生に聞く、甲冑とお城の楽しみ方
甲冑先生と呼ばれ、テレビ番組や全国での講演など幅広く活躍されている小和田先生。今回は甲冑やお城の魅力について伺いました。甲冑やお城に興味がない人でも、その魅力に惹きつけられるでしょう。
取材日2018年7月23日
PROFILE
1972年東京都生まれ。國學院大學大学院博士課程後期退学。現在、静岡英和学院大学非常勤講師。著書に『家康と茶屋四郎次郎』(静新新書)、『天空の城を行く』(平凡社新書)、『戦国合戦史事典』(新紀元社)、編著に『ずかん 武具』(技術評論社)など。
常に甲冑を持ち歩く
現在はどのような活動をされていますか?
今はありがたいことに講演やイベントに呼ばれたり、カルチャースクールや大学で講座をしたり、様々なところからお声をかけていただいています。最近は、時代劇設定のCMの台本を考えたりもしています。
甲冑先生と呼ばれることもありますが、日頃から甲冑を持ち運んでいるのでしょうか?
みなさん、普段甲冑を目にする機会があまりないため、イベントや講演などがあれば、持ち歩くようにしています。見た目とは裏腹に、実は大きめのカバンにいれられるサイズまでコンパクトに折りたたむことができます。 ただこの前、飛行機に甲冑を持ち込もうとしたら止められて、「X線に通してください」と言われてしまって。危うく飛行機を乗り過ごすところでした(笑)。
甲冑は時代ごとに変化を楽しめる
先生がそこまで惚れ込む、甲冑の魅力とはなんでしょうか?
甲冑の魅力は時代によって、その装飾が異なること、さらに実用的でもあり、究極の美術工芸品でもあるということです。基本的には防具として使われていますが、身分や社会的地位も表しています。
残されているものを見ると、装飾などが細かく施されており、上級武将はお金をかけていたということがわかります。逆に敵側から見れば、歩く身代金。討ち取られたら持って行かれてしまうんです。
甲冑は時代ごとに異なるということですが、いつ頃から使われ始めたのでしょうか?
日本で争いが始まったのが弥生時代で、その頃から甲冑が使われ始めています。甲冑と言っても板を張り合わせたもので、一撃で割れてしまい使えるものとは言えませんでした。古墳時代になると金属が使われるようになり、平安時代は皮、糸を使い、軽量化をしていきました。
1番評価されている甲冑は何時代のものなのでしょうか?
甲冑が一番進化を遂げたのが、平安後期から鎌倉時代にかけてです。国宝指定されているものが、平安時代のものが多いことからもその価値が評価されていることがわかります。
室町時代や戦国時代よりもですか?
時代が進むと甲冑の数が必要になり、良質なものは減っていきます。例えば、戦国時代は刀を量産しましたが、良質なものは残っていません。また火縄銃が出てきた時期で、鉄板を使った甲冑も生まれました。火縄銃で打たれても貫通しないもので、戦国時代の最終形態と言ってもいいでしょう。このように時代によって甲冑も変化しており、平安時代、鎌倉時代のものを見ることをおすすめします。
甲冑を見たい!となったら、どこへ行けばいいでしょうか?
静岡県内で甲冑を見るなら、久能山東照宮がおすすめです。将軍の甲冑が並んでおり、とても豪華で楽しめます。全国的にいえば、仙台の伊達家が寄贈した仙台市博物館、福岡の黒田家が寄贈した福岡市博物館、彦根の井伊家が寄贈した彦根城博物館。どれも大名家の一流品が見られる場所です。何より、初代から幕末まで揃っていることもあるため、一人一人の個性を楽しめます。
戦国時代は5万城もあった
次にお城の魅力について伺います。
日本のお城がおもしろいところは、地形をうまく利用して建設しているところです。お城は、経済的なこと、政治的なこと、軍事的なことを意識して作っています。守るだけなら、標高何百メートルの場所に作ればいいのですが、それでは街で何が起きているかわかりません。人の侵入を阻むということは、生活もしづらいということなんです。
だいたいどのくらいのお城があったのでしょうか?
戦国時代には、お城の数は5万もありました。コンビニと同じくらいの数です。しかし、今や数えるほどしかない。それも歴史です。今は観光のお城。日本が平和な世の中になったということですね。
確かに現代のお城は観光向けです。それでも長い年月残されているというのはすごいことではないでしょうか?
そうですね、姫路城は400年ほど経ちますでしょうか。これも不思議な話で、鉄筋コンクリートより木造のほうが長持ちするんです。例えば、名古屋城の天守は鉄筋コンクリートでできていますが、この先100年ももたないため取り壊して木造にしようという話がでています。熊本城の石垣も、熊本地震で崩れたものは近代になって補修した部分です。昔の人は構造計算をしていないにも関わらず、何百年と残る堅守なものを作っています。
姫路城
過去と未来の架け橋をしていきたい
お城には当時の人の面影が見えますね。
お城を見ると、昔の人の知恵が生かされているのがわかります。甲冑もそうですし、お城もそうです。昔の人が生き残りをかけて考えたことが形になっている。それを、今見ることができる。今生きている人が考えつかないことが、そこに凝縮されているのです。
当時は、生きるか死ぬかという時代でした。弱みを見せると付け込まれる。そういう生き様を知ることができるのが、甲冑やお城なんです。むしろ、それくらいしか残っていません。それを今後永久に残していけたらいいなと思っています。ですから、今やっていることは、未来への橋渡しですね。
海外向けの活動もしていく予定でしょうか?
甲冑をFacebookに載せていると、友達申請が世界中からきます。ただ日本について誤解をしている人もいるので、まずは日本に来てもらって武士の生き方などを体感してもらいたいなと思っています。正々堂々と戦うというのは、新渡戸稲造の武士道によるもので、生死を争っていた戦国時代の考えではありません。そうした、日本の歴史を伝えたいなと。それで日本を好きな人が増えてくれればと思います。
インタビューを終えて
お城と甲冑といえば、私たちにとって身近であり、実はよく知らないものでもあります。お城を観光する外国人が増えている一方、実は日本人の数が少なすぎるのかもしれません。日本の歴史から学ぶことは多くあります。お城や甲冑を通し、生死をかけた時代に生きていた人たちが何を考えていたのか、学ぶ必要があるのではないかと思いました。