今なお入手困難な幻の高級地酒「亀」。その誕生秘話に迫る!正攻法は「逆をいく」こと?!
1636年、徳川家光の時代に「足名屋」として酒造りをはじめた初亀醸造。明治期に岡部町に蔵を構えて百余年、日本酒づくりに情熱を燃やしています。今回は16代目となる橋本謹嗣社長に、酒造りにかける思いやこれまでの紆余曲折についてお聞きしました。
取材日2016年12月5日
PROFILE
藤枝市岡部町出身。老舗蔵元「初亀醸造」の16代目。大学卒業後、名古屋の一次問屋にて修行を重ね、その後、地元に戻り家業を継ぐ。「酒は造るのではなく、生まれるまで育てるもの」の精神のもと、数々のチャレンジをし続けている。
31番目に古い!歴史ある老舗蔵元
宿場町ならではの風情漂う、素敵な店構えですね。
1636年(寛永12年)に駿府(静岡市)で創業しました。徳川家光の時代に「足名屋」として酒造りをはじめ、その後、明治初年に東海道の宿場町として栄えた岡部町に移り住み、現在に至っています。
私がこの業界に入ったのは、昭和50年でした。大学卒業後、名古屋の一次問屋で商学や経営について学んだ後、地元に戻って家業を継ぎました。
その頃は全国に約4500の蔵元がありました。今は1500くらいでしょうか…。現存する造り酒屋の中では31番目に古いようです。
造り酒屋の歴史は、酒税と密接な関わりがあって、国の予算の半分を酒税でまかなっていた時代もありました。日本酒業界では「日清・日露の両大戦は酒税で戦った」と語り継がれるほど、過酷な税額を課せられ、その取り立ても徹底していました。当社も類いに漏れず、冬になると、自宅に税務署の方が寝泊まりしていましたよ。
「優力」酒造りは人づくり
酒造りへのこだわりについて教えてください。
酒の原料であるお米は、最高の酒米「山田錦」の故郷である兵庫県で、その中でも最高級米の産地である「東条産」(特A地区)にこだわっています。また、水は井戸を50m掘って汲み上げて、南アルプスの伏流水を使用しています。
いちばん大切にしていることは何ですか?
原料や製法も大切ですが、企業は人なりと言われるように、酒造りは人づくりだと考えています。
優しい力と書いて「優力」(ゆうりょく)。優力のある蔵人によって、優力のある蔵元を目指す。その結果として、優しさのある美味しいお酒が生まれると信じています。
ですので、当社が求める人材は、何よりも優しい人。酒造りの技術よりも、人柄を重視しています。
取材当日、見学させていただいた酒蔵の様子。お酒造りは一分一秒を争う時間との勝負!張り詰めた空気感に目の覚める思いでした。
常識や時代の「逆をいく」
全国の蔵元に先駆けて、高級地酒の代名詞でもある「亀」を手掛けられました。 その誕生秘話を教えてください。
高度経済成長期を迎える昭和40年代から50年代にかけて、ビールの消費量は300%、ウイスキーは200%、日本酒は150%に増えました。しかし、当社の売り上げは約半分に落ちてしまいました。とにかく売れなかった…。その分、灘や伏見といった上方の大手メーカーが売り上げを伸ばしました。地方の蔵元の多くが廃業に追い込まれましたね。
当時、地元の消防団に入っていたのですが、各分団に振る舞われる日本酒は、初亀ではなく、灘や伏見のものでした。そのときの悔しさがモチベーションにつながっているかもしれません。
好転のきっかけは何ですか?
売れなくなると安売りする…。自分で自分の首を絞めて、悪循環に陥ってしまう蔵元が多かったですね。
世の中が「より安いもの」へシフトしていく中で、当社はその流れに逆らい、日本一高い日本酒を売り出そうと考えました。当時、当社の日本酒は県知事賞を受賞し、価格に見合う品質は十分にあると確信していました。
1977年に日本でいちばんの最高級酒として、当時の小売価格1万円の「純米大吟醸亀」の発売に踏み切りました。当時、いちばん高価な日本酒でも3,500円くらいでしたから、約3倍の値を付けたことになります。
社員たちからは口を揃えて「専務、こんなの誰が買うの?」と言われました。むしろ、それがマーケットとしては良かったわけです。
と言いますと?
「これ売れるね」というのは、誰もが思いつくことじゃないですか。その「逆をいく」のが成功の鍵。「売れない、儲からないことを考えるのが、私たちの仕事だよ」って社員にはよく言うんですよ。自らマーケットを創り出していくという考え方です。
市場のような「右と言ったら左、前と言ったら後ろ」というように、つねに常識や時代の「逆をいく」ことが正攻法だと考えていました。
これをきっかけに、全国に大吟醸の初亀を浸透させたわけですね。
そうですね。ただ、最近になって思うのは、ゼロがひとつ足りなかったかなあと後悔しています。だって最高級のワインって、何十万円の世界ですから、それに比べたらまだまだ安い…。当時は清水の舞台から飛び降りるつもりで、1万円という価格を付けたんですけどね(笑)。
「純米大吟醸 亀」
日本酒を「五感」で楽しむ
酒質へのこだわりはもちろんですが、斬新な取り組みも注目されていますよね。 新たに挑戦したいことはありますか?
嗜好品って五感で楽しむものですよね。目で見て、耳で聞き、舌で味わい、鼻で香りを楽しむ。五感すべてを使い、最終的に脳が判断するわけです。わが家で飲むお酒と、雰囲気の良い料理店で飲むお酒と、その美味しさは違って当然です。
確かに…雰囲気って大切ですよね。
より美味しく感じてもらうには、お酒そのものはもちろんですが、インテリアや照明、器など、それを取り巻く空間において、トータル的な演出が必要になります。
具体的に考えていることはありますか?
平成19年4月に世界が注目するデザインの祭典「ミラノサローネ」に、日本酒の蔵元として出展しました。「TOKYO Bar」として日本酒をプレゼンテーションし、大盛況をおさめました。
初亀では「極吟醸瓢月クラシックボトル(2006年度グッドデザイン賞受賞)」を振る舞ったのですが、味、デザインともに好評でしたよ。
「極吟醸瓢月クラシックボトル(2006年度グッドデザイン賞受賞)」
海外のイベントをお手本に?
まだ漠然としたアイデアですが、F1の表彰式でおなじみのシャンパンファイトのように、例えば、新車の発表会で、日本酒を楽しみながら車を観賞してもらうとか、イベントと絡めた演出方法もありですよね。
つねに「感じる」「考える」こと
働く上で何を大切にしてきましたか?
伝統を守るためには、同じことをやっていては退化してしまいます。つねに新しいことに挑戦し、変化し続けなければなりません。
これまで、人と違うこと、誰もやらないことにチャレンジしてきました。その分、失敗もたくさんしましたよ。そのおかげで、いろいろな方とお会いし、いろいろ勉強させてもらいました。つねに「感じる」「考える」環境に身を置いていたように思います。
お金がないことが、逆に良かったのかもしれません。ないからこそ、知恵を絞り、工夫を凝らす。それが上手くいくと、楽しさも倍増します。次への励みになります。
やっている本人が楽しくないと、暗い所に人は集まらないですからね。これからも明るく楽しみながら、新しいことに挑戦していきたいです。
橋本 謹嗣さんのパワーの源
-
フォーミュラレース
フォーミュラカーに乗るのが昔からの夢で、50歳からはじめました。鈴鹿サーキットで開催されるフォーミュラレースに参戦。本番に備えて日曜日に練習しています。
走行中は仕事のことも忘れ、頭が真っ白になる瞬間も。立場や年齢に関係なく、とにかく相手より1秒でも速くゴールすることを考えて走っています。シンプルでわかりやすいのがいいですね。
旅行
年に1回くらい、仕事仲間と一緒に勉強を兼ねて海外旅行しています。一昨年は「ミラノ万博」へ行ってきました。
店舗インフォメーション
- 店舗名
初亀醸造株式会社 - 住所
静岡県藤枝市岡部町岡部744 - TEL
054-667-2222 - 営業時間
8:30〜17:30 - 定休日
日曜日、祝日他
インタビューを終えて
朝7時にスタートした初亀さんの取材。普段はめったに入ることができない酒蔵にお邪魔し、お酒造りの工程を見学させていただきました。なかでも、お酒造りの最初の一歩となる「蒸米」の工程は、一分一秒を争う時間との勝負。もうもうと立ちのぼる蒸気の中、蒸し上がった米を蔵人が走って麹室へ運ぶ姿は、まさに圧巻でした。
また、私たちの質問に優しい笑顔で丁寧に応えてくださる橋本社長のあたたかい人柄にも、スタッフ一同、心打たれました。本当にありがとうございました。
初亀醸造という名は「初日のように輝き、亀のように末長く栄える」ことを願って命名されたとか。今年、人生でウン回目の年女となる私…。酉のように羽ばたき、亀のように末長く栄えられるよう、年明け早々「初亀」をしこたまいただきたいと思いますっ!!